等価交換としての仕事
私のブログでは基本ネガティヴとの戦いでしかない。そのはけ口なのだから適当で良いでしょう。よしなに。
やる事が多い。
忙殺とはこの事なのかと思うという程度の仕事量。
ただ、みなされた残業以上はなかなか取りづらいこの時勢。みなす残業ってなんなんだよと突っ込みがいのある手当を、これが当たり前なのだと享受して毎日定時より遅く、何の気なしに過ごす。
なぜ当たり前と思えるのか。
わたしには、組織で働く限界がもうそろそろ見えているのかもしれない。
実力は特にないけれど、人に紛れるストレスは果てしないし、逃れたい衝動は誰よりも負けない。自負がある。
雇われとして生きることの苦行は、与えられた仕事をこなすことと、やりがいを見出して自分を鼓舞しないといけないこと。
お金を得て働いているのだから間違いない。
これは等価交換をしているだけ。
ただ、仕事をどう金額で評価するかは、見る人で異なる。
地域差もあるし、人付き合いでも変わる。
コネや贔屓はあって当たり前なのだ。そこにハマるかどうかは個人差あるが、感情を持つ人間なら物事を平等という物差しで測る人もなかなかいない。あるとしても、何にも興味がない人か、何にでも興味がある人か、どちらかしかないだろう。
他人に評価されることで、自分を測るしかない己の自意識は、不快極まりない悪癖だし、辞められるものならさっさと全てを捨て去って一人で仙人にでもなってしまいたい。
この等価交換に終わりは来ない。
別の需要供給にシフトするか、生を終えない限り。